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人間辞めますか仕事辞めますか

なんか最近有名なニートの人がテレビに出てどうこうみたいな話があったじゃないですか、わたしはテレビは見ないんですけど、そういう話を聞いたので、無職の是非について考えてみました、たとえば今目の前に無職の人がいて「無職だけど生活困ってないし毎日快適だよ!」とかゆってたらわたしは「うるさい働けバーカ!」と悪態をつくと思うけど、どうして悪態をつくかというと「わたしは毎日こんなに一生懸命働いているのにこいつは労働もせずに生活が可能になっているとは不公平な……ギギギ」という嫉妬の感情がほとばしるからであって、しかしここではそういうわたしの個人的な感情は措くこととします。
そんで日本は現状生きるのにはどうしてもおカネが必要なので、おカネがなくても暮らせる社会が理想なのだ!という人もいるのかもしれないけど現状ノーマネーノーライフなので、それを前提として考えると、働いているかいないかということよりも、生活のために必要なおカネがあるのかどうか、というのがまず問題なのであって、合法的な方法でおカネを手元に用意できるのであれば、別に働いてなくてもいいんじゃねえの、と思いました。ポイントはおカネを用意するための合法的な方法の内容で、これが例えば、親に扶養されている、とかであると、親はいつか死ぬので、親が死んだらどうするのかな、と心配になります。親じゃなくても、配偶者に扶養されているとかであっても、配偶者もいつか死ぬし、急に死ぬかもしれないし、死なないけど離婚などにより扶養を放棄される可能性があるので、そういうときどうするのかな、と心配です。誰かに扶養されているという条件下だと扶養が継続されなくなったときにその人は死ぬのでどうかと思うけど、そうではない方法でおカネが用意できるのであれば働いていようがいまいが人から責めを受けるいわれはないと思う。わたしは働かないとおカネが用意できないので働いています。
ただ「働かなくても暮らせる社会」とかいう言い回しを聞くといつも不思議に思うのが、そもそも社会が十全に機能するために最低限必ず行われなければならない業務というのが世の中には無数にあるわけで、誰かがその業務に従事しなければ生活そのものが成り立たない或いはものすごくハードになると思うのだけれど、そういう業務についてはどう考えられているのだろう、ということです。わたしが従事する仕事なども現代日本社会が円滑に機能するためには(誰も進んではやりたがらないけど)必ず誰かがやらなければならない仕事で、わたしが業務を放棄したら本気で困る人たちがたくさんいるためどうしても仕事はせざるを得ないので、もう半分くらい慈善事業みたいな気分でやっています(給料が安いので余計に慈善事業気分が高まります)。絶対に誰かがしなければいけない業務が存在する以上、みんなが働かなくても暮らせる、というのは無理ですよね。
あとノーマネーノーライフな社会で、一番困るのは、おカネを持たない人がおカネを得るための選択肢としてあるのが賃金労働という手段であるのにもかかわらず、その手段すら選択したくてもできない、つまり仕事がないという現在のような状態なので、無職でも生活が成り立つ人を叩くよりは働きたくても働き口がないという現状についてちゃんと考えるほうが有益だし急務だと思います。
それから労働者の一人として実感するのは、働くことで得られるものはおカネだけではないので、暮らしていくのに必要ないろいろなことが得られるので、端的にいうと人間としての強度があがると思うし、強度があがったほうが生きていくのは格段にラクになるので、そういうものを得るためには手っ取り早く労働するのが一石二鳥じゃねえの、と思うけど、一般にいうような労働なしにおカネや人としての強度を獲得できるのであれば、働くか働かないか、という問題は瑣末だと思います。なんにせよ自分にとってラクで楽しく生存できる方法はなんなのかということを各々が真剣に考えるというのは大事なことだと思うなあ。
あと個人的なことを言うとわたしにとっての今の自分の仕事というのは「基本的にツライし体にも心にも悪いのはわかっているけど時々ものすごく気持ちいい」という麻薬みたいな作用をもったものなので、用法を間違えると死ぬかもしれません……死んだらすみません……。

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