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最近の子供の名前の実態

よく同僚とかに「最近の子供の名前ってすごいんでしょ?」みたいに聞かれることがあるんだけど、保育園でもそんなにびっくりするようなキラキラネームは少ない。インターネットで話題になるような、「光宙=ピカチュウ」みたいな頓智のきいたネームはあんまりいない。ただ、そこにあるのは「いまどきな感じの名前だなあー」というような、そういう感じの名前である。
明治安田生命が毎年やってる子供の名付けランキングとかをみると、実際につけられた名前のランキングだから当然だけれど、まさにこんな感じ。読みで20位までに入っている名前に娘のクラスメイトや同僚の子供の名前などがいくつもランクインしている。


漢字表記の方は、それぞれオンリーワンを目指すのか、我々の世代の頃には人名にわざわざ使わなかったような字を使う人も多いので、ちょっと読みにくい場合もあるけど、全体としては、突拍子もない読みをさせるキラキラネームの方が少ない印象で、埼玉の郊外の保育園で100人ちょっとの園児の中でも1割くらいではなかろうか。

だから、そんなにすごいキラキラネームが跋扈しているわけではないんだけど、流行は確実にある。

ところで、うちの娘の名前は、夫と二人で考えたのだけど(実際には、私は私が考えてつけたと思っているけど夫も同様の主張をしている)、私は自分の名前が大好きなので、自分の名前を基準にそれを凌駕しうる女の名前を考えなければ、という点に留意して名付けをした、自分の名前が字義も読みも素晴らしい(と思っている)ので、同様に字義も読みも素晴らしい、漢字で書くと重要で知的な意味があり、読んだときの感じはかわいらしい、平仮名やカタカナで書いても素晴らしい、という名前を模索した結果、私の名前と一文字違いの名付けをすることになった。私がネジ子ならば娘はネギ子、みたいな感じである。産前の当初はこの名付けに大変満足して天才だと思った。娘の名前自体は私と同じく昭和の名前で、いまの40〜60代くらいの女性に多い名前だから、珍しい名前ではないけど、幼児の名前としてもさほど不自然でない愛らしさがあるから全然イケる、と思ったのである。

娘の名前自体は素晴らしいことに変わりはないが、生後2ヶ月目のとき、予防接種の問診票を書いていて、あることに気がついた。
赤ん坊には沢山の予防接種を受けさせなければならず、注射一本につき毎回問診票を書くのだけど、同時に何本も接種することもあるから、一度に何枚も問診票を書くことになり、そこには子供の名前を書く欄と親の名前を書く欄がある。私の名前と娘の名前は一文字めが同じで二文字めが違うのだけれど、娘の名前と自分の名前を何回も何回も繰り返し書いているうち、取り違えて書いてしまいそうなことがよくあった。なるほどこの方式の名付けには運用上このような落とし穴があったか……と思った。

また、親も昭和ネームで娘も昭和ネームだと、親子の名前を書いてあっても、第三者から見てどちらが親なのかということがわかりにくい。私は仕事で他人の名前を家族全員分書類に書いたりして確認しなければならないことが多いのだけど、大体子供の名前は流行を反映して明らかに「子供の名前だな」とわかる場合が多くて、その家族の名前だけでも見ればある程度続柄が判断できる、ということもあるのだけど、我々の場合はその見通しが全く通用しない。これは別に我々の家庭には関係のない、他人が運用する場合の問題なのでそう気にすることはないけど、実務上子供の名前が「それっぽい」と結構便利だな、ということはあり、名前は人を区別するための記号であると考えると、名付けに流行があってそこから世代が推測できるというのはなかなか合理的である。そういう点で、私が自分を天才と思ったほどの名付けも運用上は不便が多く非合理的なのであった。

ちなみに、昨今の名付けの特徴として「やたら由来を重んじる」ということがあり、なんか「こういう人間になってほしいから」みたいなことを名前に込めることを名付けの由来と呼んでいるようなんだけど、うち娘の名前の由来は先述のとおりで、どういう人間になってほしいみたいなのは特に関係ない。どういう人間になってほしいかといえば、適切な問題解決能力と他者への思いやりを持った自立した人間になってくれればその他のところはなんでもいいが、何も名付けと育児目標を絡める必要はない。しかし、私が小学生の頃に授業で「みなさんの名前はどうしてその名前になったか、お父さんお母さんから聞いたことがありますか」みたいな問を投げかけられたときに、ハイッと挙手して立ち上がり、親から聞いたとおりに「かわいいからです!」と答えて先生がドン引きした思い出を考えると、娘にはそれっぽい名付けのストーリーを与えておいた方が無難かな、と思う。
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