Sponsored Link

世界の平和と一切衆生の幸福のために

私は生まれた時から創価学会員で、いまも脱会はしていないから創価学会員なんだけど、実家のお父さんもお母さんも生まれた時から創価学会員で、だからわたしは学会二世の両親から生まれたサラブレッド創価学会員です、お父さんもお母さんも幹部の役職についています。
父方や母方の祖父母が、なんで入信したのかは知らないけど、子供の頃から一緒に暮らしていた父方のおばあちゃんは、親戚に勧められてミキプルーンの健康食品を買ったり、訪問営業型の布団屋に勧められて布団をたくさん買ったり、出入りの呉服屋に勧められて高価なハンドバッグを買ったり、みのもんたの思いっきりテレビを毎日熱心に視聴してはアレが体にいい、コレが体にいい、と言っていたので、父方に関してはおばあちゃんが滅法信心深く、また勧められたものは断れない性格だったので入信することになったのだと思います。

私にはそうした信心深さが全く欠落しておったため、子供の頃から創価学会で純粋培養されたにも関わらず、全く信心が身につきませんでした、物覚えはよかったのでそばで聞いているだけでお経が暗唱できるようにはなったし、女子部になったら青年教学2級の試験になんの苦もなく合格したけど、それだって国語の偏差値が75くらいあったから、信心がなくても楽勝でした。

さて、信心はなかったけど、大学生になったときに、学会活動をしてみよう、と思い立ち、することにしました。なぜそう思い立ったかというと、大学に入って最初のうちは、友達もいないしバイトもしていないしサークルにも入っていないので暇だったから、ということと、創価学会について、批判や否定をするにしても内実を知らなければ正確な判断が下せないであろうと考えたから、ということと、あまたの創価学会員の言う通り、信仰で願いが叶うならラッキーだと思ったから、というような事情がありました。というわけで、それまでろくすっぽ会合にも出なかったのに、真面目に会合に参加するようになりました。

真面目な創価学会員はとても多忙で、平日の夜や土日の午前中など、様々な会合があり、私は大学の授業が夜にあったので平日の夜は出られなかったけど、休みの日など出られるときは積極的に会合に参加し、何か忘れたけど役職もつき、女子部の先輩と担当地域のメンバーの家を訪問して回ったりもしました。たぶん先輩が地区リーダーで、私は地区リーダーの下に便宜上ある何かの役職だったのだと思います。創価学会員は構成員がものすごく多いので、担当地域は家の近所だけだけれどその中でも女子部に属するメンバーは10人くらいいました。創価学会では未婚の女を女子部、ある一定の年齢までの男性を男子部、既婚の女を婦人部、ある一定の年齢以上の男性を壮年部、と区分して組織されており、女について未婚と既婚で組織を分けるやり方が全く気に入りませんでした(これは晩婚化の影響もあり、ある一定の年齢以上になると未婚の女も婦人部に移行するようになりましたが、なんにしろ差別的な感じがするので早くやめた方がいいと思います)。

真面目に会合に参加している幹部の娘、しかも地元の組織には珍しく四年制大学に進学した、ということもあって、私はどこに行っても「期待の新人」扱いでしたが、真面目に会合に参加するばかりで布教的な活動を一切しないし、服装も含め全く女子部らしくならないし(創価学会の女子部は普段はオフィスカジュアルみたいな服を着たきれいめスタイルの人が多く、大きな会合だと原色或いはパステルカラーのスーツを着るのですが、私は当時髪を金髪にしてパンクっぽい文言が書いてある黒いTシャツなどを着てタータンチェックのミニスカートを履きラバーソールを履く、というロリータパンクファッションをしていました、これはこれで死んだ方がいいと思うような黒歴史です)、創価学会関係の出版物も読まないし、よく先輩から「せっかく本を読むのが好きなんだから、たまには池田先生の本も読んだら?」と言われていましたが、毎日授業の用事で読むべき本と、趣味で読む本と、何冊もの書籍をリュックに詰めて一時間半の通学時間に読んでいる私に、池田先生の書いた毒にも薬にもならない本を読む暇はありませんでした。ちなみに大学ではフェミニズムジェンダーと日本近現代文学と文芸創作の勉強をしていました。ものごとは二項対立で考えてはダメだ、脱構築しろ、ということを毎日毎日学校で教わってくるのですから、それと宗教活動の両立というのも難しい話でした。ちなみに好きな作家は笙野頼子金井美恵子、好きな音楽はブランキージェットシティでした。

私は信仰心も忠誠心もなく、ただ真面目に会合に出ているだけの女子部員でしたが、女子部も新聞啓蒙(聖教新聞を他人に購読させること)や折伏(他人を創価学会に入信させること)やF取り(選挙のときに他人に公明党に投票すると約束してもらうこと)をやるべき、という雰囲気はもちろんあったので、毎月新聞啓蒙何件、みたいな目標を設定させられるのですが、聖教新聞なんて自分でも読んでないし、あんなものわざわざ読むべきようなものではない、と思っていましたから、他人に購読を勧めるなどとんでもない、と思って適当に言い逃れをしながら全くその手の活動はしていませんでした。選挙活動については、はじめは未成年だったのと、成人してからもしばらくは選挙がなかったので、関わらなくて済んでいました。

私はその頃、世界が平和になるために自分は何をすればいいのか、ということを結構本気で考えるようなタイプの若者だったのですが、創価学会は色々どうかと思うところもあるし、自分の信仰心は一向に芽生えないけど、世界の平和のために何らか頑張っているようだから、別に悪くはないだろう、と思っていました。創価学会員は毎朝毎晩勤行と言って法華経の一部を読経するやつをやることになっており、その読経の合間に「ご観念文」と言って「先祖代々の追善供養のために」とか色々と決められた文言や自分の願いなどを念じながら題目をあげる、ということをやるのですが、勤行のフィニッシュに念じる「ご観念文」は「世界の平和と一切衆生の幸福のために」となっており、私にはそのことが気に入っていました、何万人もいる創価学会員が、朝に晩に世界の平和について祈っている、これはちょっといいことではないか、と思っていました。別に世界平和を祈りながら題目三唱したら世界が平和になる、と思っているわけではなかったけど、毎朝毎晩世界の平和について思いを馳せるのと馳せないのとでは全然違う、と思っていたからです。世界平和にコミットメントしていく団体である、という点において、私は創価学会をプラス評価していたのでした。

ところで、まだ未成年のときに何かの選挙があり、未成年なので選挙活動はしないものの、出席した会合で選挙活動のノウハウなどを幹部が教えている場に同席したことがありました。創価学会公明党の関係については、政治のことがよくわからないのでなんとも判断しかねましたが、わたしが大学生の当時(2000〜2004年)はすでに自公連立政権になっており、ちょっと前まで公明党自民党は仲が悪い印象だったのに、なんで連立しているのかな?と思ったけど、そういうテンプレ的な疑問についてはテンプレ回答が用意されており、「公明党が連立与党となることで、自民党がへんな政策を作ろうとしていたらストッパーの役目を果たせる」とか「創価学会には社会を変革する役目があり、それを実現させるためには政治に参加しなければできないし、社会にとって良い政策を作るためには与党の立場にいなければいけない」とかいう説明がなされていたので、ふーん、と思っていました。
それで選挙の時期の会合では、支援する公明党の議員について「こういう語り口で周りに説明していこう」みたいなノウハウが示されるのですが、対立候補についても、できるだけ悪印象を持たせるような言い方でけなしていこう、みたいな感じで、「この人はこうこうだからこんな人に市政を任せてはダメ」という具体的な語り口も示されていました。それで覚えているのが、対立候補の中学校のときの卒業文集を出してきて、その人が中学生の時に書いた作文が中学生らしい内容の、戦争が起こって全て滅びたらいい、みたいな感じのやつだったのですが、それを鬼の首を取ったように「対立候補の○○は中学生のときに戦争を賛美するような作文を書いていた、危険思想の持ち主であるからこんな人に投票しては絶対ダメ、これを周りの人にも知らせていきましょう」などとやっていたことです。こういう話を末端会員のおっさんやおばさんが大真面目な顔で聞いているので、これはマズイなあ、と思いました。公明党は色々役に立つことをしているから応援してください、と他人に言うだけならまだしも、対立候補についての稚拙な悪口を組織的に吹き込んで広めようと言う、そのことによって自分たちの支持率が上がると本気で思っているのなら、これはさすがにマズイのではないか。頭が悪すぎる。

しかし創価学会のやり方は選挙に限らず、常に、どのような相手に対しても、対立する相手についてコテンパンに悪口を言い、こんな悪い奴と戦う創価学会は絶対正義、週刊誌やインターネットに書いてある創価学会批判は全部嘘だから気にするな、創価学会を批判した奴は地獄に落ちる、と言い募ることなのです。日蓮正宗から破門されたときもそうでした、子供の頃に日蓮正宗猊下の一家がどれだけ私利私欲にまみれた悪い奴かということが漫画で描かれた本を読んだことがありますが(両親は子供に本を買い与えることはしませんでしたが、創価学会系の出版物は沢山買っていたので、そういう漫画が家にありました。聖教新聞に連載されてる四コマ漫画の単行本などもあったし、仏教説話を漫画にしたやつなどもありました)、とにかく一事が万事この調子でした。

平和団体をうたっている割にこんな調子では、一生平和な世界は訪れないのでは?と思い始めた頃、イラク戦争が勃発しました。
別にイラク戦争は突然勃発したわけではなくて、9.11のテロがあって、色々あって、戦争に発展したわけだけど、私は政治活動が盛んな大学に通っていたので(大学に入学してすぐの頃、教室に入ると机の上に「君も革命マルクス派に入らないか?」と書かれたチラシが置いてあったので、とんでもない学校に来てしまったな、と思いました)、毎日毎日大学構内に戦争反対の立て看板が並ぶのを見ながら、戦争はイヤだなあ、と思っていました。9.11のテロでは、ハイジャックされた飛行機に同じ大学の同学年の学生が乗っていて亡くなったけど、だからといってイラクで戦争するのは違うよね、という感じでした。
しかし日本はアメリカを応援してイラク戦争に荷担することになりました、公明党平和団体創価学会が支持母体だから反対するのかと思っていたけど、全然反対しませんでした、周りの創価学会イラク戦争に反対とか言う人はいませんでした。そもそもイラク戦争のことを気にしている人がいませんでした。

イラク戦争を契機に、創価学会をプラス評価することに一分の理もなくなった、と思いました。もうこの団体とは距離を置こう、と思っているときに、統一地方選かなにかの選挙がありました。成人していて、まだ一応学会活動に参加していた私に、遊説をやらないか、という声がかかりました。こういうのは上から声がかかって、幹部と改めて面接をして、正式に任命される、という手続きを踏むようで、断りきれずに面接は受けたけど、いざ任命、ということになったときに、これは絶対に断らなければダメだ、と思いました、公明党を支援する活動をするということは、イラク戦争にも賛成だった、ということの表明になってしまう。私は戦争支援に荷担する気はなかったので、任命されたけどやっぱりやりません、と言いました。
その頃私は大学4年生くらい、21歳くらいだったのですが、当時は他人に対して自分の意見を口頭で表明するのがとても苦手で、私はイラク戦争に反対ですから公明党の支援はしません、というだけのことを言うことができませんでした。戦争反対、みたいなことを言うのがちょっと恥ずかしい、ということもありました。女子部の本部長や圏女子部長のような上の幹部が代わる代わる説得しに家まで来ましたが、うまく説明できず、政治のことはよくわからないので政治活動はやりません、とかなんとか言いました。
その時に、圏女子部長という幹部の人が、こういうことを言いました。

「選挙の活動は、功徳がストレートに出ると言われていて、前の選挙のときにも同じように遊説をやった子が、選挙のあとに欲しかったヴィトンのバッグを彼氏に買ってもらえたんだって。そういうこともあるから、一緒に選挙の活動を頑張ろうよ」


え!
ヴィトンのバッグ?!!!


お前らが公明党を支援するのって、そういう現世利益目的なの?
ていうかお前はそんな話を伝家の宝刀みたいに持ち出してるけど、それで目の前の人間を説得できると思ってんの?


私は大変びっくりして、これはもうダメだ、創価学会とは縁を切らなければ、と思いました。とにかく選挙支援はやりません、と言って幹部は帰し、遊説はやらず、その時の選挙は投票だけ行って、どこに投票したのか白票にしたのか忘れたけど、そのようにして乗り切りました。その後は会合にも色々理由をつけて出なくなりました。

今になって、あの時ちゃんと「戦争反対なので公明党の支援はできません」と言うべきだったなあ、と思います。最近、安保法案反対のデモに三色旗などを掲げて参加している創価学会員がいる、という話をインターネットで見て、ちゃんと自分で考えられる人もいるんだなあ、と思いましたが、どうか創価学会員のみなさまにおかれましては「人間革命」の第一巻冒頭に何が書かれているか読み直して頂き、日本のこの先について考えて頂きたいです。よろしくお願いします。
Sponsored Link